愛と喪失

ノーマン・ウォーンはフレデリック・ウォーン社を経営していた三兄弟の一番年下で、ビアトリクスの「ピーターラビットのおはなし™」の担当編集者です。

彼とビアトリクスは最初から意気投合しました。本の制作についてノーマンと議論するため、彼女は頻繁にベッドフォード・スクエアにあるウォーン社のオフィスに馬車で通っていましたが、当時は女性が一人でビジネスの場を訪れるのは良いことではないとされていたため、ミーティングにはいつも女友達を付き添いとして連れて行かなければなりませんでした。

1904年に「2ひきのわるいねずみのおはなし™」の準備をする頃には、ノーマンは深く制作過程に関わるようになります。ビアトリクスに描かせようと、人形の家の家具を購入したり、自分が作った人形の家をスケッチさせるため、サービトンにある彼の兄の家に招待したりしました。しかし、ビアトリクスの母はそれを良く思いません。「商売人」であるウォーン家は、自分の娘がつきあう友人としてふさわしくないと思っていたのです。しかしビアトリクスは全く気にしませんでした。

二人きりで過ごす時間は皆無だったのですが、ビアトリクスとその編集者であるノーマンとの間には恋愛感情が育っていきました。1905年7月25日、ノーマンは手紙でビアトリクスにプロポーズをします。ビアトリクスの両親は最初は猛反対をしましたが、やがて一時的妥協案として、ノーマンからの指輪をはめてもよいが、婚約を公にしないということに落ち着きました。しかし悲しいことに、問題は解決を見ないままとなります。ノーマンは突然白血病の一種に冒され、プロポーズのわずか一ヶ月後に亡くなってしまいました。

この悲劇はビアトリクスに大きな打撃を与えましたが、仕事に打ち込むことで哀しみを克服しようとします。彼女が本の印税を使って購入した農地のある湖水地方で、できるだけの時間を過ごすことにしました。この土地購入を援助した弁護士は、地元のウィリアム・ヒーリスといい、やがてビアトリクスの恋人となります。

一緒に仕事をすることで、また自然環境保護という共通の興味を通じて、ふたりの関係はだんだんと深まっていきました。両親は再び反対しましたが、この時のビアトリクスはそれを無視し、1913年10月にウィリアムと結婚しました。1943年にビアトリクスが亡くなるまで、ふたりは湖水地方で幸せに暮らしたのです。