湖水地方での暮らし

ヒルトップ農場

若い頃、ビアトリクスは何度も避暑として湖水地方を訪れましたが、中でもウィンダミア近郊にあるニア・ソーリーという村が一番のお気に入りでした。

1905年、ビアトリクスは本の印税と叔母からの遺産を使って、「ヒルトップ」と呼ばれるニア・ソーリーにある湖水地方の伝統的な農場を購入します。彼女は、農地管理者のジョン・キャノンと家族がそのままそこで暮らしながら農地管理をし、豚や牛や羊、アヒルや雌鳥も飼い続けられるように、家を増築する手配をしました。

当時ビアトリクスはまだロンドンの家で両親とともに暮らしていましたが、なるべくこの新しい家を訪れるようにしました。農家を改築し、美しいイギリスのコテージ庭園を造りました。自分の絵の背景のモチーフとしても「ヒルトップ」を描いています。

「こねこのトムのおはなし™」(1907年)に登場するトムと家族は、「ヒルトップ・コテージ」に似た家に住んでいて、この本の絵を通して家の玄関ポーチや室内の様子、花であふれる庭の様子を知ることができます。

「あひるのジマイマのおはなし™」(1908年)はその農地が舞台で、ジョン・キャノンの妻と子供が、二つのイラストで登場します。あひるのジマイマと犬のケップは、実際にヒルトップ農場にいた動物がモデルです。

「ひげのサムエルのおはなし™」(1908年)にも、こねこのトムとその家族の住む家として、現在の家と全く同じ室内の様子が描かれています。このお話は「ヒルトップ」で実際にあった、ねずみの来襲にヒントを得ています。

 「ジンジャーとピクルズやのおはなし™」(1909年)はニア・ソーリー村のお店が舞台です。このお店の実際の店主は、本人の希望でヤマネとして登場します。この頃までには、ビアトリクスは地元にすっかりとけ込んでいました。近所の人たちは、自分たちの家や猫に似た絵が本に登場するのを喜んでいました。

「こぶたのピグリン・ブランドのおはなし™」(1913年)では、農地管理者が小さすぎるからとはねつけたため、ビアトリクスがペットとして飼っていた小さな黒ぶたの「ピグウィグ」も含め、ヒルトップ農場で飼育されていたぶた達が登場します。この本が出版されたのはビアトリクスがウィリアム・ヒーリスと結婚した年ですが、本に登場する腕を組んだチャーミングなぶた2匹は、自分とウィリアムではないのだと本人は常に否定していました。

ウィリアム・ヒーリスとの結婚

ヒルトップ農場を管理することで、ビアトリクスは農業について多くの事を学びました。ピーターラビット®の本で稼いだお金で、彼女は湖水地方での所有地を広げ始めます。ウィリアム・ヒーリスは土地売買の助言をする地元の弁護士で彼もビアトリクスと同じように湖水地方をこよなく愛していました。1912年、ウィリアム・ヒーリスはビアトリクスに結婚を申し込み、彼女はそれを承諾しました。二人は1913年10月にロンドンで結婚します。ビアトリクスは47歳でした。二人はニア・ソーリー村の「カッスル・コテージ」を新居としました。

農業と長編「妖精のキャラバン」

生前のビアトリクスは15の農場を購入し、自ら進んで農業にいそしみました。木靴をはき、古いツイードのスカートにショールを身にまとい、干し草をつくったり、溝から泥を取り除いたり、草原で迷った羊を探したりしたのです。ビアトリクスは、農場の動物たちといる時がいちばん幸せだと言っていました。

羊飼いのトム・ストーリーとともに、ビアトリクスはハードウィックシープを飼育し、地元の大会で数々の賞を受賞しました。1943年には、ハードウィックシープ飼育者協会会長に女性として初めて選出されます。地元の農業仲間からは、それほど高い評価を受けていたのです。

ビアトリクスは、自分がピータラビット®の作者、ビアトリクス・ポター™だという身元を隠すのを好んでいましたが、「ヒルトップ」を訪れるアメリカ人のことはいつも歓迎していました。イギリス人よりアメリカ人の方が自分の作品をより理解してくれると感じていたからです。

1929年には、彼女の作品の中で一番長いお話である「妖精のキャラバン」を書き下ろしましたが、ここには彼女の飼育していたハードウィックシープが登場します。この本はヘンリー・P・クーリッジというアメリカ人の男の子に捧げられており、ビアトリクスは、デイビッド・マッケイ社からアメリカでだけ出版されるように手配しました。

自然保護とナショナル・トラスト

湖水地方を初めて訪れた16歳の時からビアトリクスの自然保護への関心が芽生えました。ハードウィック・ローンズリーというカリスマ的な若者である地元の牧師が説く、自然環境保護の必要性に、ビアトリクスは強い印象を受けました。後にローンズリーは、歴史的遺産と自然美の保護に貢献するナショナル・トラストの三人の創立者のひとりとなります。

ビアトリクスは生涯を通じてナショナル・トラストを支持しました。彼女はナショナル・トラストの原則に従って自分の土地を管理し、伝統的な建造物や農業方法を維持しました。美しい景観と田舎の文化の保全の必要性を理解していたためです。

自分の農地では、湖水地方の草原に特に適している、絶滅の危機に瀕していた在来種のハードウィックシープを飼育しました。

1943年にビアトリクスが亡くなった時、15の農場と4000エーカー以上の土地がナショナル・トラストに遺贈されました。彼女の望みどおり、ヒルトップ農場は当時ビアトリクスが住んでいたそのままの姿で保存されており、現在でも年に何千人もの観光客が訪れています。